猫砂を利用しよう
K来によれば、アイデアも、開発のスタートも、テンキー式の製品化もCのほうが早かったというが、発売が遅れてしまってはあとの祭りである。
Cがシャープよりも半年近く発売が遅れたのは、光点表示器に使用する光源電球の寿命が短かったため、仕様変更や品質確認をしなければならなかったからだ。
それになんといってもCの場合、電機メーカーのシャープに比べると電気製品の生産は素人といっていい。
ハンダゴテを一度も使ったことがないという工場従業員も大勢いて、量産体制を整えるのに時間がかかったのである。
六四年十月に発売された「キヤノ−ラ130」は、使用したトランジスタが六OO個、ダイオードは一六OO個で価格は三九万五000円。
発売は遅れたものの、他社製品にはない特徴であるテンキー式が使いやすいということで人気を博し、市場に出回るやいなや一躍ヒット商品となり、先行するシャープとデッドヒートを繰り広げることになる。
その後もシャープが新製品を出せば、Cも「キヤノ−ラ130」の改良型である一六桁のメモリー機能を備えた「キヤノ−ラ161」、磁気ドラムによるメモリー機能をもった「キヤノ−ラ325」などを次々に発売して、これに応戦した。
初期の「電卓戦争」はシャープ対Cという図式であったが、やがてこの両社の間に割って入ってくるのがリレ−式計算機から電卓に転じたカシオ計算機だった。
昭和四0年代初頭からカシオが台頭し、しばらくはシャープ、C、カシオの三社による三つ巴の競争が続くが、やがてCはその巴戦のなかから脱落していくことになる。
現在でもCは電卓事業をやってはいるが、もはや同社を支えるメイン事業ではなくなっている。
カシオは、従来の常識を打ち破る超安値でカシオミニを売り出したわけだが、一般ユーザーは当然ながらその安値に驚き、ライバルメーカーはカシオが月産一O万台という思い切った量産体制でスタートしたことに驚いた。
カシオには「これなら売れる」という自信があったのだ。
その狙い通り、カシオミニは発売されるやいなや大ヒット商品となる。
主婦や学生といったオフィスの外にいる個人がこぞってこの新商品に飛びついたからだが、彼らは安くて便利なカシオミニをそろばん代わりに使いはじめた。
その結果、それまでは事務用機器だった電卓が、ひとり一台のパーソナル機器として一般家庭のなかに急速に浸透していく。
その意味でカシオミニは、まさしく「電卓革命」をもたらした画期的な商品だった。
カシオという企業がポピュラーな存在として市民権を得ることになったのもカシオミニのおかげだったといってよい。
Cにもチャンスはあった。
もし当時のCのトップがもう少しだけ電卓事業に熱意をもっていたら、「電卓革命」を成し遂げたのはカシオではなく、あるいはそれはまだカシオミニが発売される前のことだ。
たしかにC社内にも、一万円を切る安い電卓を開発して売り出そうという動きはあったのである。
実際のところ、電卓事業をもっと積極的に推進しようと考えるグループが中心になり、一万円を切る電卓の開発を新製品委員会に提案している。
K来もまた電卓事業推進派のひとりだった。
この案は新製品委員会の委員長を兼ねる前田副社長の反対で潰されてしまうのだ。
前田の反対の理由は、る。
あまり安い電卓を発売したら、そのイメージが崩れる恐れがある。
それにもっと大きなネックは、Cは低価格の電卓を大量に売りさばくような販売ルートをもっていない」というものだった。
M田の反対理由は、K来にとっても十分に説得力のあるものだった。
未練はあったが、K来はおとなしく引き下がることにした。
カシオミニが発売され、それが爆発的にヒットすると、販売店や営業部門の末端から「カシオに対抗して、Cも安い電卓をつくるべきだ」という声が起こってくる。
営業サイドがメーカーのトップを突き上げるかたちになった。
ここで前回は前言を翻し、新製品委員会の場で「一万円電車をつくろう」と言い出したのである。
前田は元来、営業畑一筋に歩んできた人間だ。
山一誼券の大阪支屈に勤める証券マンからCの前身である精機光学研究所に三四年(昭和九年)に転じて以来、長く営業部長を務め、まだCカメラの販売網が整備されていない時代から販路開拓に飛び回り、Cのカメラを売りまくってきた。
それだけに販売筋の突き上げには案外弱いところがあったのかもしれない。
今度はK来が反対する番だった。
のときの反対理由はうちに販売ル−トがなどからということだった。
私もそれはそうだと納得したので、あのときは引き下がったが、Cにはいまだに安い電卓を売る販売ルートなどないではないか。
それをどうするのか。
解決すべき問題を放ったらかしにして無理にやっても成功するとは思えない。
だから、今度は私が反対します」相手は社内でナンバー・ツ−の副社長である。
ようやく取締役になったばかりのK来にはとうてい勝ち目はなかった。
前田は強引に「カシオ、ここ対抗機種の開発を決定する」。
前田は、「カシオ、ここが六桁であることから、Cは八桁でやるよう」にと、技術障に注文をつけた。
カシオミニよりも安くて、同じぐらいの大ききで、それでいて桁数が多ければ絶対に勝てる。
そうM田は判断したのである。
こうしてCは、一九七四年(昭和四九年)三月にカシオミニに対抗するかたちでパーソナル電卓「パンサー」を発売する。
だが、電卓の販売ル−トとして期待していた文房具底はすでにカシオに押さえられていて、容易には入り込めなかった。
そのうえパンサーには品質上の大きな欠陥があった。
それはパンサーに使われている表示用の発光ダイオードが熱に弱く、夏場になると切れて使い物にならない商品が続出したことである。
原因ははっきりしていた。
この発光ダイオードはアメリカのベンチャービジネスから買いつけたものだが、発売を急ぐあまり、部品の品質検査が甘くなってしまったのである。
夏場になってユーザーからのクレームが殺到する。
Cがここで市場に出回っているパンサーを全面回収するなど、速やかに対応していれば、あるいはその後の事態もまた変わっていたかもしれない。
だが、Cはここで致命的な失敗を犯す。
ユーザーからのクレームが殺到したところで、Cではパンサーをどうするかについての対策会議を聞いた。
K来もその会議に出席したが、彼は「新聞におわび広告を出して、全部引き上げるべきだ」と主張した。
これに対して営業担当役員は、大丈夫なのだから、不良品についてだけ部品交換で対応しよう」と言って譲らない。
営業担当役員はこうも言った。
結局は営業担当役員の案が採用された。
決まった以上は仕方がない。
K来の腹のなかは煮えくり返っていた。
彼は会議の終わりに誰に言うでもなく、こんな憎まれ口をきいた。
が言うようなことを経理部長の私が言っている。
これでCの信用が失われなければいいのだが」だが、K来の心配は現実のものとなった。
パンサーを市場からパンサーの全面回収をしなかったことで、Cの電卓はライバル他社の格好の標的にされたのだ。
他社の営業マンはこのときとばかりに「Cの電卓はすべて欠陥商品だ」と市場にふれ回った。
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